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勇壮関東随一
砕ける荒波勇む若衆 |
●日時
9月23日・24日
●問合せ先 水産商工観光課 0470-62-1111 内線314
駐車場は、大原町役場にあります。ただし、台数に限りがありますので、電車をご利用ください。 |
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リンクします。
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歓声が聞こえてきます。 輝きの季節
やがて秋風がたち始めると、地元の人々の心は″はだか祭り″のことでいっぱいになります。町じゅうが一体となって盛り上がる伝統の秋まつり、″大原はだか祭り″B毎年9月23・24日の2日間にわたって行われる雄壮な祭りです。十数基の神輿が一斉に海へとかつぎこまれ、もみあう″汐ふみ″が祭りのハイライト。勇ましく、雄々しく、神輿が海の中を駆け巡り、投げ上げられます。
そして夕闇のせまる頃、花火を合図に大原小学校校庭に集まり、神輿を高く上げて別れを惜しむ″大別れ式″が。
海の男たちの情熱と優しさの両面を十分に感じることのできるこの祭りには熱心なファンも多く、毎年多くの観衆でにぎわいます。
関東随一と言われる、外房大原はだか祭り。強烈な感動が、心の中を駆けぬけていくようです。 |
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■神輿渡御【みこしとぎょ】日程 (以前の例) |
※渡御=神輿(みこし)の移動行程・スケジュールを指します。 |
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■おすすめコース!
日 |
時 |
内 容 |
23 |
12:00 |
大原駅周辺の中央商店街が車両通行止になり、露店が出ます。 |
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15:00 |
大原海水浴場で「汐ふみ」が始まります。 |
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16:30 |
商店街を、お神輿が練り歩く、「神輿渡御」が木戸泉酒造付近から始まります。 |
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17:30 |
大原小学校校庭で、
「大別れ式」が始まります。 |
24 |
16:30 |
商店街を、お神輿が練り歩く、「神輿渡御」が木戸泉酒造付近から始まります。 |
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17:30 |
大原小学校校庭で、「大別れ式」が始まります。 |
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■祭りの見どころ 現在の行事は、昔のものと少し異なるが、初日23日午前9時に大原地区の神輿十社は親神(おやがみ)である鹿島神社に参集、法楽施行、午後大原漁港に向う。東海・浪花両地区の神輿もそれぞれ地区の行事後大原漁港へ集結。十八社がそろって五穀豊穣・大漁祈願ののち午後3時頃から汐ふみの行事にうつる。
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この汐ふみは、この祭りの三大みどころの一つで、怒濤の中で神輿が数社もみあうさまは勇壮豪快の一語につきる。汐ふみ行事後は、木戸泉酒造前に全部の神輿が打ちそろったのち、二社が並列で唄いおどり、もみあって大原小学校々庭へ向う。
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〜商店街は祭り一色〜 商店街通り約1キロは人と神輿に埋まり、祭り一色にぬりつぶされ、見どころその二の場面展開「商店街渡御」。さらに、夕方5時頃になって大原小校庭に入った神輿は、さながら神輿の競争の如く、力のかぎり校庭内を駆け巡る。このさまは、あたかも戦国絵巻の感で絢爛豪華な模様といえる。やがて、夕暮ともなると各神輿はかけおわり神輿を何度となく、高々となげあげ、うけとめ、なげ終わる頃、祭りはクライマックスの状態を迎える。そして各神輿の提灯にあかりをともすころ、花火(スターマイン)が秋の夜空をいろどる合図とともに、神輿を高々とささげ、二社三社とよりそい、哀調おびた別れをおしむ唄「若けもんども 別れがつらい会うて別れがなけりゃよい」とうたうさまは、さきほどまでの荒々しさとうってかわった風情といえる。この大別れ式では大原小校庭が神輿、氏子観衆で埋り、見どころ三つ目の祭り絵巻がくりひろげられる。 |
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この大別れ式は午後6時半頃に終りそれぞれの神輿は、そのまま各地区へ帰るのをこばむかのように午後10時ごろまで商店街でもみあう。 翌24日は、午前中それぞれ地区の行事後、午後3時頃大原八幡神社に参集。自由渡御後、午後4時頃、木戸泉酒造前に打ちそろい、以後23日とおなじ体制で大別れ式にのぞむ。この日は大別れ式後来年の祭りまで、しばし神輿との別れをおしむ若衆が遅くまで神輿をもんだあと、甚句や木遣によって宮入りとなる。 |
■祭りの由来 大原秋のはだか祭りは、古く江戸時代から行われていた。このことは大井区の瀧内神社に祭りの風景を措いた絵馬があり、その絵馬が、文久4年(1864年)に奉納されたことや別の絵馬に天保12年とあることから、160年前の天保年間にすでに、祭礼のしきたりや組織が出来あがっていたことがうかがわれる。 行事も十社まいりや浜での大漁祈願、汐ふみ、大別れ式と、はなやかなものが行われてきた。江戸時代の当地域においてはこれといった娯楽もなく、この祭りは住民が年一回最大のたのしみとしてうけつがれてきた。古老の言をかりれば、なにを質に入れても祭りの仕度をととのえたといわれる。 当時は仕事のいそがしさから、とかくお互いの気持ちがばらばらになりがちであった。このためこの地域の領主は唯一無二の娯楽である祭りが集団行動と意志の疎通をはかることができるという重要さをみとめ、神輿渡御が無事に終ったことを早飛脚で大多喜城主に報告せしめたとある。
期日も昔は8月13日から15日までであったのが改暦により、明治6年からは9月23日から25日とされ、さらに大正2年より9月23日、24日の2日にわたって行われるようになった。 この祭りは他に比類ない勇壮な祭りであることから、戦時中、当時の氏子総代が警察に祭りさわぎでもないとして自粛を申入れるに、地域住民の士気を鼓舞するによいことだから大いに活発な祭りを行うよう署より申し渡されたと伝えられる。
〜国体本会場に参加〜
このように勇壮豪快な祭りであるにもかかわらず、近隣の町村の人以外知られていなかったが、千葉国民体育大会の本会場へ出場して以来、にわかに脚光を浴びその後、全国豊かな海づくり大会での天皇皇后両陛下の御前での披露、全国スポーツ・レクリエーション祭への出場を機に、全国的にその名を轟かせている。
<連絡先> いすみ市産業経済課商工観光班 千葉県いすみ市大原7400−1 0470−62−1243
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